2022年6月30日 (木)

みんな愛にあふれている!

あなたはそのままで完璧だし、

あなたという存在は愛そのものだからね。

本当は、みんな愛にあふれている。

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斎藤一人さん、「成功は愛が9割!」より。


愛があふれる世界、本気になってやってみる、

分かち合っていく。

それって、楽しい人生なんじゃないかなって、

そんな風に思いました。

2022年6月26日 (日)

未来に、漠然とした不安を抱えている若者たちへ

未来に、漠然とした不安を抱えている若者たちへ


多分、未来に希望が持てない、っていうことなのかもしれない

やりたいことが見つからない、わからないってことかもしれない

なんのために生きているのか?
なんて考えてみるけど、わからないってことかもしれない

人間関係がうまくいっていないってことかもしれない

僕が想像できないようなことに不安を抱えているってことかもしれない


僕も、18歳ぐらいの頃には、何のために生きている?意味ある?とか思ったりした

どうせわからないんなら、好きなことをやって生きた方がいいんじゃない?って思って、

そうなりたいって今まで生きてきた

全てがうまくいっているわけではないけれども、

長い目で見てみると、少しずつ、それに近づきつつあることも実感している

それは、生きていれば、のことでもある

今、生きているから、それに向かって進んでこれた

ま、僕のことはいいとして

もし、今、自殺しようかとか思っているとしたら、

ちょっと考えてみてほしい、こう思ってみてほしい


どうでもいい人生なら、適当にやってればいい

適当に食っていけるように生きていけばいい

ほとんど人と関わらずに生きていくこともできるかも

でも、そうしようと思わないから、

未来に希望を持ちたいから、

もっとよくなりたいとか、

生きる意味を見出したいとか思うから、

漠然とした不安が出て来るんだってことに気付いてほしい


ほんとうにどうでもよかったら、そんなこと無視できるし、

てきとうにやり過ごすことだってできる


今、不安を抱えたり、悩んでいるのは、

実は、人生を真剣に生きたいっていうことの

裏返しなんだっていうこと

本気で人生に向き合いたいって、こころの奥底では、

意識していないかもしれないけれども、思っているってこと


誰だって、何のために生きているかなんてわからない

でも、本気で生きようと思って生き続けていれば、

人生を全うし、一生を終える時には、きっとわかるんじゃないかな


結局、何をしてきたかが、生きた意味になる

不安の中ででも、自分が思い描く、

望む未来、希望を生み出だそうと未来に向かって

進み続けてきたことが、生きた意味になる


意味は先にわかるんじゃなくて、

歩んできた過程が意味になると思う


不安をしっかりと抱きしめて、受け入れて、

感じつくして、ゆっくり、ゆっくり、

慎重に、慎重に、一歩、一歩を

そろりと踏み出していけばいい


早ければいいってもんでもないし、

何かを達成しなければ成功していないってこともない


一歩一歩を踏み出していくことのなかに

人生の意味が生まれ、遠回りしたり、

寄り道したり、そんな中に気付くこともたくさんある


何も達成しなくったっていいんだ

達成しても、しなくってもどっちでもいいんだ

こうやって、一歩一歩、歩んでいくこと

それが人生


歩み始めると、同じ思いの人たちと

不思議と出会う機会がある

いや、そんなひとたちの中に

勇気を出して飛び込んでいくこと

とっても大切


ともに歩んでくれる人がいることで

不安も小さくなっていく

一人よりも二人で、二人よりもみんなで

自分の人生の意味を作っていこうよ

2022年6月23日 (木)

愛とは無限!

新装版「成功哲学」 著者:ナポレオン・ヒル博士

の中で、「愛」について、いくつかの記述があります。

それを紹介します。

------------

「愛」とは無限の広がりを持っている。おろそかに取り扱ってはならない。

愛は惜しみなく与えること。そうすれば与えられたのと同じだけか、

あるいはそれ以上のものが自分に帰ってくる。

愛を与えるのをやめれば、愛も受けられなくなる。

-------------

これを読むと、愛とは、受け取るものではなくて、

与えることで受け取れるもの、ということなのだろうとわかります。

ジェラルド・G・ジャンポールスキー博士の、「愛と怖れ」のなかにも、

同じような法則としてのレッスンがあります。

「与えるものが、受け取るもの」


あれがほしい、これがほしい。

受け取ることばかりに、注意を向けがちですが、

与える、それも惜しみなく与える。


その行為が愛であり、それによって、

自分が愛で満たされる、

そういうことなんだろうなと思います。


いろいろな記述を見ても、やはり、ほとんどが、

与えるこで愛が生まれる、という感じですね。


受け入れることも愛ですが、

惜しみなく与える、

あれがない、これがない、ではなくて、


足ることを知る人は、与えることも上手なのかも

しれないな、なんてことも思いました。


愛とは無限の広がりを持っている!


みんなが、惜しみなく与える世界は、

無限の広がりになりそうです。

2022年6月22日 (水)

スサノオについての想像 その2

昨日は、物語風にスサノオについて、書いてみた。

今日は、仮定的に考えながら、書いてみたい。


スサノオが、出雲あたりに来たときの時代、

まず、貨幣というものは存在したのか、しなかったのか。

多分、物々交換の時代であったのだろう。

稲作は、あったのか。

クシナダヒメ、クシイナダ(稲田)ヒメ、などという

姫の名前があることから、稲作はあったのだろうと推察する。

けれども、現代のように、収穫量の多くない、

古代米というものであっただろうから、お酒を大量につくるほどの、

余裕はなかったのではないだろうか。


また、コメだけを主食にしていたわけでもないだろう。

五穀といわれるように、アワやヒエなども食べていたに違いない。

栗やドングリ、山菜なども食べていただろう。


けれども、そう余裕はなかったのではないだろうか。


みんな精一杯のところで、やってきていたのではないだろうか。

そんなところで、川の氾濫が相次ぐ土地。


治水には、人手がいる。労働力がいる。

道具もいる。お金はなかったのだろうから、

人を動かす何かがいる。


そこで、足名椎命・手名椎命に酒造りをさせ、

武力で国を守るという安全を提供しながらも、

いわゆる飲みニュケーション、

( このころは今のように毎日飲むようなほど

裕福ではなかっただろうから、

その効果は絶大であったかもしれない、)

により、人々の心を動かし、

治水工事を大成させ、

さらに信頼を得たスサノオは、

人々を酒でいい意味で酔わせ、

たたら事業に取り組み、

三種の神器の一つとなるような剣をつくるほどの

高い製鉄技術までをも確立し、

鉄で外貨(物々交換?)を稼ぎ、

この地を豊かにするという偉業を成し遂げた、

のかもしれない。


そんな偉人・英雄の住む宮殿は、

人里離れたような場所、

広い土地もなさそうな場所、

狭いところ、住むのもやっとのところ。


スサノオノミコト、豪華絢爛な暮らしは

多分していなかったのだろう。

一所懸命とは、こういう人のことを言うのだろう。

昔のやんちゃものは、人々を守るために

人生を懸けたのかもしれないな、

と思いを馳せる機会が、友人に会いに行ったことで生まれた。


だけど、ほんとうのところはわからない。

けれども、厳しくするばかりでも、うまくいかないこともあるのでは、

もしかしたら、お酒という、贅沢なこと、楽しいことで

みんなをワイワイと盛り上げて、そのエネルギーでやり遂げたのかもしれない。


やんちゃものは、そういことは得意そうだから。

一緒に、バカになってやったからこそ、奇跡的なことができたのかも。


単なる想像でしかないが、もしそうであるなら、

人には、そんな楽しくなるようなことが、

偉業を成し遂げるには必要なのかもしれないなと、

思ったりした。


苦しくやったって人生、

楽しくやったって人生、

同じ人生ならば、楽しくやって、成果を出したほうが

断然いいし、その楽しむエネルギーが、偉業を生むのかもしれない。

そんな人生であったらいいなぁ、という希望も含めて、

想像的教訓を、創造してみた。

2022年6月21日 (火)

スサノオノミコトのストーリを勝手に想像!

6/19(日)、友達の勤める服屋に、コーディネートしてもらうため、片道2時間半ぐらいをかけて、出雲市まで行ってきた。

途中、斐川の川沿いの堤防の上を車で走る。天気はいいし、緑はきれいだ。

そういえば、スサノオはこの斐川の氾濫を治水したんだよな、

八岐大蛇伝説は、そういうことだよな、ってことは、

スサノオは、土木の神様でもあるってこと?


なんて、思いを馳せながら、また想起する。


治水事業もして、たたらで製鉄して、

最後は、天叢雲剣【あめのむらくものつるぎ】を作って、

天照大神に献上したんだよな。

すごいことを成し遂げた。でもどうやって、達成できたのだろうか。


友人の服屋につき、全身をコーディネートしてもらった。

友人から、せっかく来たんだから、どこか寄って行ったら?

と。出雲大社か、須佐神社かをすすめられた。


スサノオについて、気になっていたので、須佐神社へ。


途中、すごい険しい道を通りながら、たどり着く。

とっても田舎。どちらかと言えば、質素。

出雲大社のように、どでかいというかんじではない。

中くらい、という感じ。

境内の案内には、ここは狭い場所だが気に入ったので、

この土地に自分の名をつける、という感じの記述もあり。


伝説の人物が、何故、こんなこじんまりとしたところに、

とどまったのか。

そんなことにも思いを馳せた。


ここからは、僕の想像の物語。

史実には沿っていないと思う。

フィクション。

--------------
スサノオは、やんちゃもので、いたずら好き、そのせいで、

お姉さんの天照大神を驚かせ、高天原から追放された。


流れ着いた出雲にて、はて、これからどうしようかと思っていたところ、

飲んだこともないうまい酒をつくる老夫婦に出会う。

「なんとうまい酒!どうやったら、こんなうまい酒ができるのか?!」

老夫婦は応えた。

「まずは、この土地の水。そして良いお米。

あとは、うまいといって飲んで喜んでくれる人を思うと、

少しでも、うまい酒をつくりたいって、只々、作ってきただけだよ。」


今までやんちゃばかりしてきた、スサノオ。

こんな辺境の地で、ひたむきに酒造りに人生をかけた、

じいさん、ばあさんに感銘を受ける。

で、酒飲みながら、話を聴く。老夫婦に見合わない、

若くて献身的な娘さんが酒を注いでくれる。

こんなひげもじゃで、かみボッサの汚らしい

どこの馬の骨かもわからない男にも、

嫌な顔一つせず、である。


そんな家族を見て、スサノオは思う。

こいつら、私利私欲のためだけにやっているのではないな、と。

酒に対する愛、その酒がもたらす、仲間たち、

楽しいひと時。それが好きで、ひたむきに酒を、

うまいって飲んでくれる人のためにやっているんだと。


涙なんか、流したこともないし、酒に酔ったこともないけど、

この家族から感じるものには、心が酔わされ、

涙で目が潤んだ。


聞けば、斐川が何度も氾濫して、酒を届けていた部落が、

水害にあい、ひいきにしてくれた人たちが流されたり、

家を失ったりと、

とても悲しい思いをしているんだという話を聴いた。


そして、もう年だし、ここらが酒造りの潮時なのかなと、

感じているという話も聞いた。


スサノオは、

やんちゃばかりしてきて追放されたけど、

それは自分の行いによるもの、納得がいく。

けれども、この老夫婦や、それを支える酒造りに携るものたちは、

今まで、真剣に、誠実に人生と向き合ってきた。

なのに、生きることすら大変なこの場所で、

川の氾濫という災害によってなすすべもなく

あきらめてしまうなんて、なんて不運、

虚しいことなのか。


このうまい酒、誠実な人たちを救うことはできないだろうか。

いや、そのために俺はここに流れついてのではないだろうか。

報われない人たちが報われるように、

堕落した自分だからこそ、一所懸命な人を守りたい。

そうでない天に対して、立ち向かっていきたい。


熱い思いが、胸の中から湧き上がってきた。

---------------------


続きは、また、明日にでも。

2022年6月16日 (木)

愛の視点からみた成功の定義!

ナポレオン・ヒル博士の成功哲学、

それには、成功の定義というものがある。


ふつう、成功哲学と聞くと、自己啓発、

無理に大きな声だしたり、目標たてて、期日決めたり、

達成した状態をイメージ・思いこんだり、

ポジティブシンキングしたり、

そんなことを思い浮かべるのではないだろうか。


けれども、実は、これは、ほとんどが、

「願望実現の6か条」であって、

「成功の6か条」ではない。


どういうことかというと、

”願望実現=成功”とされていないのだ。


では、成功の定義は何か。

-------------------------
「成功」の定義

成功とは、他人の権利を尊重し、
社会正義に反することなく、
自ら価値ありと認めた目標【願望】を、
黄金律(※)に従って一つひとつ
実現していく過程である。

※黄金律:自分がして欲しいと思うことは、
何よりもまず他人にそうしてあげることだ

思考は現実化する
ナポレオン・ヒル著/田中孝顕訳 より
-------------------------

ここで注目したいのは、

1.「ひとつひとつ実現していく過程」であって、
実現すること、ではないということ

2.「自ら価値ありと認めた目標【願望】を、実現する」
ということにとどまらず、「黄金律に従って」というのが、
付け加えられているということ

つまりは、

自ら価値ありと望むことの実現・達成 = 成功、

そうしていないということで、

目標を決めて、それを達成できたら成功ではない、

ということなのだろうと、僕は読み解いた。


黄金律は、自分がしてほしいこと、

だけではなく、相手の立場に立ってみて、

自分がしてほしいことを想像し、

それを他人にする、という、

共感とか、思いやりをもって行動すること、

も含んでいるのだろうし、

黄金律はについての別の記述には、

「奉仕こそ成功への黄金律だ」

というタイトルや、

事業に成功するための黄金律は、

「礼儀と奉仕」といってよい、

といったものもある。


それらを慮ると、

黄金律は、利他の行動、

奉仕、ひっくるめれば、

愛による行動ということではなかろうか。


愛は、与えれば不思議と自分の中で膨らんで、

愛を感じることができ、その愛の感情で

また愛ある行動がとれるようになる。


たとえそれが、与えた本人からお礼として帰ってこなくても、

心が温かくなり、平安がもたらされ、

無限エネルギーや、とめどなく湧き出る源泉のように、

自然発生的に自分の中で大きくなっていく。


そんな気持ち、判断基準で、願望実現のための行動を

とっていく。実現すること=成功ではなくて、

愛に従って行動していくこと、その過程が成功である、

ということなんだろう。


実現すること=成功 としてしまうと、

実現した瞬間は成功となるが、

また、成功のために、新たな目標をたてて、

一瞬の実現という成功の瞬間に向けて、

進むことにはならないだろうか。


また、望む願望を実現したからといって、

まわりに愛が溢れずに、怖れが溢れていたら、

それは、成功とよべるのか。

また、願望を実現しなくても、

愛による行動をとり、まわりに愛が溢れていたら、

これは、成功と呼べるのではないか。


つまりは、実現=結果・成果であり、

必ずしも成功ではないし、

実現していなくても、

まわりに愛が溢れつつあれば、

(黄金律に従えば、そのようになるだろう)

それが成功、ということなのだろう。


先日の記事、

愛は継続力を生む!

に書いたけれども、

ルドルフ・シュタイナーは、

行動に対する愛だけが決定的であり、

結果・成果には、意味や価値を持たない、

といったことが書いてある。


そして、何度も繰り返すのは、

愛による行動であるから、

であり、それは、結果ではなくて、

過程である、とも読み取れる。


愛する気持ちで、愛ある行動を、

自分自身にも、他人にも取っていくこと、

そして、心の中に湧き出てきた愛によって、

また、愛ある行動を取っていく。

その過程こそが、成功であり、

実現すること=成功とは限らない。


愛を自らに満たして、その過程を歩んでいきたい。

2022年6月15日 (水)

みらいをつくる みらいのために~みらいをつくるのは愛だ!~

みらいをつくる みらいのために


みらいをつくる ぼくらのことば

みらいをつくる ぼくらのこころ

みらいをつくる ぼくらのつながり

僕らはここに何をのこせる
つぎの世代へと時代を越えても
胸にいっぱい満ちてる思い
自分ごとにする やさしいことばを
かけあえる
勇気強さを 残したい


2022年6月14日 (火)

ビジョンをもつ!

人類愛みたいな、地球ごと

すくって行こうみたいなビジョン、

すごい!

2022年6月13日 (月)

アコースティッ倶楽部、アコースティック・ラブ、始動!

アコースティッ倶楽部、

アコースティック・ラブ、始動!

今日の夕方、リードギターのつんちゃん、
ベースのけんいち、ギターボーカルのかっちゃんで、
7月10日(日)に、八木のライブハウスで行われる、
ライブに出演するべく、曲合わせをしてみた。

やはり、一人きりよりも二人で、
二人きりよりも三人で進んだほうが、断然、いい!

練習というよりかは、
楽しく一緒に弾けたって感じですかね、
本当に、めっちゃ楽しいかったです。

映像、写真を撮ってなくって、紹介できませんが、
今度、アコースティッ倶楽部のフェイスブックページでも
つくってみようかな、なんて話もしました。

「上手く弾くことにフォーカスしないで、
自分たちを出し切るつもりでやろう」って、話したら、
「楽しんでやらなくちゃね!」なんて、
返答が来たりして、いい感じでした!

ライブでは、2曲演奏しますが、
コピーではなく、オリジナル曲なので、
元曲と比較されることもなく、

「今、この曲を世界で弾いているのは、
僕たちだけだ!(当然)だから、
僕ららしく、自由にやりたいように弾けばいい!」
なんて会話もしながら、
それぞれが、自分たちカラーを出していく
気持ちでできました。

話は弾んで、地元で、僕らが主催となって、
音楽イベントをやりたいねとか、
慈善活動として、老人養護施設なんかでも
演奏させてもらいたいね、なんて話もしました。

夢は膨らみますが、
とにかく自分たちが楽しんで、
まわりにも、その楽しさが伝わればいいな、
なんて思いました。

ライブへの課題、一番は、MCですかね、
ギター弾きながらの、MCは、難しい!

あと一ヶ月、ライブで盛り上がるように、
日々練習しながら、MCの練習を進めたい
です!

いや〜、マジで楽しかった〜!

ライブには、家族は来てもらう予定です、
家族以外の皆様の、ご来場をお待ちしています!

是非とも、アコースティッ倶楽部の
歌を聴きに来てください!

詳細は、また後日アップします!

皆様の応援よろしくおねがいします(^^)

故小松義則さんに感謝しながら
アコースティック・ラブを込めて

-------------

フェイスブックに記載した、僕の記事をここに転載しました。
俺たちはなぁ、ミュージシャンだけぇのぉ~!

小松さんの、あったかいプライドをくれた言葉が聞こえて来そうです(^^)

2022年6月12日 (日)

愛は継続力を生む!

愛から起こる行動について、

ルドルフ・シュタイナーの言葉より。

------------------

成功する、しないは、欲望から行動する時にしか

意味を持たない。

そして、欲望からなされた一切の行動は、

高次の世界にとって価値を持たない。

行動に対する愛だけが決定的である。

そうすれば、何度失敗しようとも繰り返して

1度決意した事柄を行動に移そうと

努力し続けるであろう。

    ルドルフ・シュタイナー/高橋巖訳

-------------------

これは、石井裕之さんの、

DM6(ダイナマイトモチベーション・6か月プログラム)で

紹介されていた言葉。


どういう説明だったかは、もう、14年も前のことで、

覚えていないけれども、今読むと、

およその意味が分かるようになった。


以下、僕なりの解釈。

何かの成果・結果は、

その人が望むことではない限り、

成功にはならない。

望んでいなかったけど、良い成果がでた、

誰かに褒められた、とかは、

成功とは呼べない。


最近、4000万円近いお金(税金)が誤って

個人の口座に振り込まれた、というニュースがあった。

振り込まれた本人にとっては良かったのかもしれないが、

望んで得たものではないので、これは成功とは言えない。


望んでいないのに、良い結果が出ても、それが良かったことか、

悪かったことか、判断は必要だが、成功ではない、ということだ。


そして、願望・欲望、とくに、私利私欲、

野心などと言われるものから行動し、

その成果・結果を手に入れたなら、

その人にとっては、成功した、ことになるだろう。


けれども、もっと高次な意識レベル、

僕らの知らない高次元の進んだ世界から見れば、

それは、望んだことを達成しただけで、

その人が成功したと思っているだけで、

前者と同じく、実は単なる結果に過ぎない。


ここで、愛とはなんぞや?ということに、

少し触れたい。



愛とは、「人の幸せに貢献したい」という気持ち

              野口嘉則


愛とは動詞である。愛という気持ちは、

愛という行動の結果にすぎない。

だから、奥さんを愛しなさい。奥さんに奉仕しなさい。

犠牲を払いなさい。彼女の話を聴いてあげなさい。

感情を理解してあげなさい。感謝を表しなさい。

奥さんを肯定しなさい。

          スティーブン・Rコヴィー 


まだまだ、いろいろな人の愛の定義があるけれど、

つまりは、私欲ではなく、人の幸せや、人に対しての

奉仕、犠牲、話を聴く・受け入れる・共感・理解する、

感謝、肯定。

そのような、利他の心が愛である、と言えるのだろう。


そして、ブライアン・トレーシーはこう言っている。


愛は、能動的な動詞である。

愛はただ単にあなたが思う何かではなく、

それは、あなたが行う何かなのである。

実際、可逆性の法則が働くために、

誰かに対して愛情のある態度で接すれば、

いつでもあなたはその人に対する愛情を深め、

強めるのである。愛と思いやりの感情を生み出すのである。


これは、簡単に言えば、

愛を与えると、可逆性の法則によって、

自分に愛が帰ってくる、

ということだろう。

だから、愛からの行動は、自分に愛を与えることになり、

人に対して、そして自分に対しても、

幸せ、心の平安、希望をもたらす結果になる、

ということだろう。


話を、ルドルフ・シュタイナーの言葉に戻す。


先ほどの、ブライアン・トレーシーの言葉に、

ほぼ、答えがあるように思うが、

「行動に対する愛だけが決定的」とは、

愛は、動詞であり、行動であり、

その行動の源は、利他の心であり、

それを与えることで、自分が受け取っている、

だから価値がある。

ということなのだろう。


利己、私欲では、自分だけ成功し、

全体が成功しない。


そんな感じではないだろうか。


高次の世界から見れば、

愛による行動にこそ、意味がある、

ということになる。


愛とは、与えれば帰って来て自分を満たす。

だから、何度でもできる。

愛を与えただけで、

たとえ相手から帰ってこなくても、

不思議と、自分の心に愛が満ちる。


高次の世界レベルでは何かが起こっているのかどうかは、

わからないが、自分の心に愛が満ちる。


だからこそ、何度も何度も決意したこと、

ここでは、愛ある行動で愛ある成果を得ること、

に向けて、努力し続けることができるのだろう。


愛は、継続力を生む!

愛は、折れない心を生む!

«「美しい」は感じる人の心にある!

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